若狭鯖街道・熊川宿日本海の小浜市より熊川宿を経て京都出町柳へと至る若狭街道は、通称「鯖街道」と呼ばれている。若狭湾で水揚げされた鯖に塩をまぶして出発すると、昼には熊川宿で休憩。その後は夜通し歩いて京都へ到着し、錦市場の朝市にかけたという。そんな鯖街道にあって宿場としての役割を果たしたのが、福井県若狭町と滋賀県高島市の県境にある熊川宿である。

1589年(天正17)に小浜城主浅野長政が諸役免除を布告し、宿場町として発展を図ると、戸数40ほどの寒村は江戸初期〜中期には200戸を超えるほどに賑わったという。町並みは国道と並行する旧街道沿いに約1.1kmにわたって軒をつらね、上ノ町、中ノ町、下ノ町からなる。

熊川宿熊川宿熊川宿

熊川宿では地域住民を主体として1975年(昭和50)に「ふるさとの歴史を探る会」、1983年に「熊川宿町並みを守る会」を発足させ、熊川宿の歴史や歴史的建造物の調査を行う一方で、その活動を「保存」から「まちづくり」へと発展。1995年(平成7)には会の名称を「若狭熊川宿まちづくり特別委員会」と変更し、さらに動きを進めるなかで、翌1996年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。また同時に建設省「歴史国道」、国土庁「水の郷百選」にも選定された。

旧逸見勘兵衛家逸見勘兵衛家
熊川村初代村長の逸見勘兵衛、そして伊藤忠商事の2代目社長・伊藤竹之助(初代伊藤忠兵衛の娘婿)の生家。1858年(安政5)に建てられた熊川宿を代表する町家の1軒。平成6年に土地建物が町に寄贈され、翌年には町指定文化財となった。3年をかけて内外装を修繕を行い、「古き町家に新しく住まう」をテーマに、現代風にアレンジした室内空間へと生まれ変わった。

旧逸見勘兵衛家旧逸見勘兵衛家旧逸見勘兵衛家

旧逸見勘兵衛家旧逸見勘兵衛家

1階の一部は天井を取り払い、吹き抜けのある空間に。台所はカウンターキッチンとした。
連合設計社市谷建築事務所
  −逸見家改修の設計を担当した建築士・吉田桂二氏の事務所


熊川番所熊川番所
建物正面には簾が掛けられ、中には役人が2人務めていたと考えられている。明治3年に役割を終えると民家として増改築がなされたが、平成14年度に解体・復元がなされた。
入館料/大人50円、中学生以下無料。

白石神社白石神社
熊川地区の氏神で旧指定村社。祭神は彦火々出見尊、白鬚明神、小浜藩主酒井忠勝公、山の神を合祀している。訪れた5/3はちょうど祭礼が行われる日で、午後には山車が出るのだという。祭礼にあわせて、家々の軒先には提灯が掲げられていた。

旧問屋倉見家旧問屋・倉見家
宿場にて荷継ぎの役割を担うのが問屋であるが、江戸中期には有力な問屋が8軒あったとされる。荻野八左衛門家は屋号を「倉見家」といい、主屋、土蔵、付属屋からなる問屋形式を残す。熊川宿ではもっとも古く、1809年(文化6)の建築である。

宿場館(旧熊川村役場)宿場館(旧熊川村役場)
1940年(昭和15)、伊藤忠商事2代目社長の伊藤竹之助によって建てられた旧熊川村役場。現在は熊川宿の資料館として、鯖街道関係の資料や民具などを展示している。入館料/中学生以上200円。時間/8:30〜17:00、月曜休館。


若狭鯖街道熊川宿(鯖街道熊川宿まちづくり協議会)
若狭町観光情報(若狭町)
道の駅「若狭熊川宿」(国土交通省近畿地方整備局)
全国伝統的建造物群保存地区協議会