百舌鳥駅甲子園の決勝戦を観戦した翌日、せっかくだから大阪観光してから帰ることにした。とはいえ、大阪市内の繁華街を1人でうろつくのは時間を持て余すだけ。そこで思いついたのが大阪市の南に位置する堺市。仁徳天皇陵の大きな古墳は教科書で見たことがある。そして地場産業でいえば、刃物の町。そのくらいしか知識はないのだが、とにかく行ってみることにした。念のためガイドブックを立ち読みしてみるが、情報は何も得られず、仕方なく道路地図で確認すると、最寄りはJR阪和線の百舌鳥駅だということはわかった。この百舌鳥駅、漢字3文字なのに読みは「もず」の2文字。正直言うと読めなかった(苦笑)。駅を出て看板どおりに歩いていくと観光案内所があり、そこで自転車を借りることにした。夕方まで借りても240円と安い。パンフレットをたくさん貰って、いざ出発。

百舌鳥駅百舌鳥駅
仁徳陵古墳仁徳陵古墳

仁徳陵古墳の前には観光ボランティアのおばちゃんがいて、古墳についてあれこれ教えてくれた。その時には「ほぅ、なるほど」と思うも、歴史の勉強を避けてきた僕にとっては、残念ながら何を聞いたのかあまり憶えていない。パンフレットなどで要約すると、堺市には仁徳・履中・反正の百舌鳥三陵を中心に大小47基の古墳が残っていること、築造は4世紀後半から5世紀後半であること、仁徳陵は周囲約2,700m・面積約464,000屐聞短勹犁緇12個分)の世界最大の墳墓であるとのこと。詳細は「仁徳陵古墳百科」(堺市 > 堺市博物館)にて。柵の向こう側は宮内庁の管轄なので立ち入ることができず、鳥居に向かって参拝するのみだという。鳥居までも結構な距離があり、目の前にはこんもりとした森が広がっているようにしか見えない。スケール間はおろか、鍵状になった前方後円墳のディテールは確認することはできないのだ。教科書に載っているのは航空写真で、強いて上から見たいのであれば市役所21階展望ロビーから眺めるのがよい、とのこと。

観光ボランティアのおばちゃんは、堺市の見どころをいろいろ教えてくれた。大坂夏の陣で焼失後に沢庵和尚が再建(1619年)したという南宗寺、狩野派の作といわれる襖絵のある大安寺、織田信長によって安土城に移植されたが再び堺に返されたという大蘇鉄のある妙国寺。しかしいちばん興味を惹いたのは「南宗寺の近くに遊郭があった」という何気ないひと言。詳しく聞けばいまでもその名残を留める建物があるという。阪堺電車の走っているあたりはかつての紀州街道で、旧市街でもある。そして、こういうときこそレンタサイクル万歳である。

▼まずは堺の旧市街地の古い建物や町並みを年代問わずざっくばらんに

堺の古い町並み堺の古い町並み
堺の古い町並み堺の古い町並み
堺の古い町並み堺の古い町並み
堺の古い町並み堺の古い町並み
堺の古い町並み堺の古い町並み
堺の古い町並み堺の古い町並み

▼南宗寺、大安寺、妙国寺

南宗寺大安寺妙国寺

▼与謝野晶子生家跡、千利休屋敷跡、阪堺電車、堺刃物伝統産業館

与謝野晶子生家跡千利休屋敷跡
阪堺電車阪堺電車
堺刃物伝統産業館堺刃物伝統産業館

▼堺市役所21階展望ロビーからの眺め

堺市役所21階展望ロビーからの眺望堺市役所21階展望ロビーからの眺望堺市役所21階展望ロビーからの眺望

▼銭湯も発見
上段は電気湯と東湯。中段は千歳湯と大多福湯。下段は大多福湯の「人間乾燥室、暦風呂、クリニックバス」という謎の看板、サウナ&温泉プールのコパーナ。

電気湯東湯
千歳湯大多福湯
大多福湯コパーナ

10時頃に観光をスタートし、16時頃にレンタサイクルを返却するまでの大半の時間を遊郭跡探しに没頭したのであるが、結論から言うと「よくわからなかった」のであった。いまになってネットで調べてみると、南海本線堺駅近くの栄橋町と竜神町、阪堺電車御陵駅近くの南旅籠町に遊郭があったらしい。空襲や都市化によって、町にはかつての面影はまったくないのだが、そんななかでも「これは…」と感じさせてくれたのが下の写真。

堺の古い町並み堺の古い町並み
堺の古い町並み堺の古い町並み

(左上)表札に「乳守」と表記しているのは、南旅籠町が乳守遊郭と呼ばれていたことに関係するのだろうか。(右上)千利休屋敷跡の隣の建物は「ゑら佐」という屋号の店。(左下)龍神橋のたもとにあるフェニックス横丁。(右下)「産業人旅館」の看板を出している旅館。
いずれも遊郭跡の名残とはいえないのかもしれないけど、当時の賑やかさを思わせる建物だ。


(ネットで検索していたら、素晴らしい動画を発見)

というわけで、古墳めぐりのはずが大きく本題とずれ、こんな感じで堺の町をさまよいました、というお話でした。

堺観光ガイド(社団法人堺観光コンベンション協会)