別所温泉元湯旅館(清川村煤ヶ谷)漫画家つげ義春は「鉱泉宿を始めようかしら」と考え、昭和63年に清川村の別所鉱泉と愛川町の塩川鉱泉を訪れている。どちらも「鄙びているらしい」という理由であり、別所鉱泉では「渓間屋」に、塩川鉱泉では「滝の家」の寂れ具合に惹かれた様子が『貧困旅行記』の「丹沢の鉱泉」の項に記されている。残念ながらと言うべきか、当時から寂れていたので当然というべきか、どちらも廃業してしまっている。

今回訪れた元湯旅館は別所温泉(鉱泉)唯一の宿である。厚木から飯山温泉を経て宮ヶ瀬へと至る県道より、セブンイレブンの脇の狭い道路を入っていく。当時は100mほど行くと「山にぶつかり、袋小路のように行き止って」いたようだが、現在はその先にある村営「別所の湯」(⇒記事)まで道が通じている。元湯旅館は道路より一段下がったところに建ち、その裏には別所川という小さな川が流れ、向こう側には雑木林が広がっている。つげ義春を「やりきれないほど侘しい」と言わしめた別所の渓間屋は、元湯旅館のすぐ隣に建っていたが、平成14年に廃業したようだ。現在は更地になっている。

元湯旅館に到着したのは15:30頃。玄関先は薄暗くしーんと静まり返っていた。何度か「ごめんくださ〜い」と声を掛けると、しばらくして帳場の裏からおばあさんが出てきた。あらかじめネットで検索した情報によると、日帰り入浴は16:00までとのことで、時間的にまずいかなぁ…と思いつつ、お風呂に入りたい旨を告げると、「じゃあおじいさんに聞いてみる」とのこと。「30〜40分ならいいかい?」などと裏で話し合っているのが聞こえてくる。入れ替わりで出てきたおじいさんは「1時間くらいだったらいいですよ」と浴室まで案内してくれた。

湯船のふたを外し、「もうちょっと温度を上げようか?」と言ってボイラーの火をつけてくれた。「本当は何時までなんですか?」と聞くと、「そうだねぇ…、10時から17時くらいかねぇ…」とのこと。宿泊客のいない間を、日帰り入浴として開放しているようだ。「温くないかい?」「床すべるから気をつけて」「風邪ひかないでよ」「窓は開けておくかい?」などなど、おじいさんは言い残していった。

別所温泉元湯旅館(清川村煤ヶ谷)別所温泉元湯旅館(清川村煤ヶ谷)

浴室は湯船1つのシンプルなつくりで、「青年の木」という観葉植物が置かれているほかは何もない。そもそも浴室は1ヶ所しかなく、必然的に男湯・女湯といったくくりがないようだ。お湯は無色透明で、つるつるとした肌ざわり。ちなみにおじいさんが「すべるから…」と言ったのは、床ではなくて湯船のふちだった。源泉温度25℃以下だが、成分が基準を満たす「温泉法の温泉」で、つまりは冷鉱泉。窓の外を眺めてみると、正面に流れる別所川は護岸が整備されていて、なんとも風情がない。そして目の前の人道橋は渡る人が少なそうだが、最近架けられたようだ。川の向こう側の雑木林だけが田舎を感じさせてくれる。

あらためて『貧困旅行記』を読み返してみると、「元湯旅館は改築してきれいだが〜」とある。昭和63年から20年の時を経ているが、外観はいまだにきれいな状態を保っている。看板がなければ旅館とはわからないほど、普通の民家といった雰囲気。つげ義春が「元湯旅館では物足りない」と書いているのもわかるような気がする。いずれにせよ、お湯を堪能するなら元湯旅館、景色など雰囲気なら村営「別所の湯」(温泉ではないが)といったところか。

元湯旅館
源泉/別所温泉(温泉法の温泉)
住所/愛甲郡清川村煤ヶ谷1570 [地図
電話/046-288-1012
交通/小田急線本厚木駅よりバス23分「別所温泉入口」停徒歩2分
     厚木市内から県道60号線「厚木清川線」を利用
     伊勢原市内から県道64号線「伊勢原津久井線」を利用
料金/800円
時間/10:00〜17:00


貧困旅行記 (新潮文庫)貧困旅行記 (新潮文庫)
著者:つげ 義春
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