垂玉温泉山口旅館地獄温泉清風荘より緩やかなカーブを下って行くと、垂玉温泉山口旅館がある。こちらも一軒宿の温泉で、「日本秘湯を守る会」の会員宿。創業は江戸末期だという。明治40年(1907)には与謝野鉄幹、平野万理、北原白秋、吉井勇、木下杢太郎の一行が九州の旅の途中で山口旅館に宿泊。その記録は「五足の靴」として発表された。 

「垂玉は未だですか。近かございます、あの山の壊るたところですと女は教えた。青い山の剥げて土あらわなるが見られる。山の道は近くして遠い。遠い路を登り尽くすと見よい滝が三つ四つ落ちて谷を流れる。」
        −中略−
「くるりと道が廻ると、忽然として山塞が顕れた、あれは何だ、あれが湯ですと小い女がぶっきらぼうにいう。後に滝の音面白き山を負い、右に切っ立ての岡を控え、左の谷川を流し、前はからりと明るく群山を見下し、遥に有明の海が水平線に光る。高く堅固な石垣の具合、黒く厳しい山門の様子、古めいた家の作り、辺の要害といい如何見ても城郭である。天が下を震わせた昔の豪族の本陣らしいところに一味の優しさを加えた趣がある。これが垂玉の湯である、名もいいが、実に大に気に入った。(以下省略)」(「五足の靴」より)

垂玉温泉山口旅館-全景与謝野鉄幹らが訪れた当時と比較すれば、建物こそ新しくなっているのだが、宿を取り巻く景色は変わっていないような感じもする。すぐ近くにある切り立った崖には落差60mの金龍の滝があり、流れ落ちた水は川となって旅館のすぐ下を流れていく。地形的に川に向かって谷となっており、旅館の周囲は緑に囲まれている。まさに山あいの温泉宿といった風情。

金龍の滝ちなみに金龍の滝は、「滝の周囲に鉄分を含んだ温泉の噴き出し口が多数あり、その鉄分が付着してより輝いて見える滝は、夕日に映えてあたかも金色の龍が昇天する様を連想されてつけられたと言われる」(現地看板より)とのこと。垂玉温泉の源泉は金龍の滝の滝壺にあり、300年ほど前に当地にあったとされる金龍山垂玉寺の修行者によって発見されたという。滝壺の近くには露天風呂「滝の湯」があり、滝見の入浴ができるのだが、残念なことにこちらは宿泊客専用。混浴とのことだが、女性には湯浴着が用意されている。

「湯もまた極めて大きい、三条の滝となって石もて畳める湯槽に落ちる、色は無いが、細く白い澱が魚の子のように全体に浮遊している、硫化水素の臭いが鼻を刺す。」(「五足の靴」より)

垂玉温泉山口旅館-かじかの湯日帰り入浴客は露天風呂「かじかの湯」と大浴場「天の湯」の利用となる。ちなみに日帰り客は本館の玄関から入らず、その脇にある窓口で料金を支払い、本館下のトンネルのような通路を下っていく。まずは「かじかの湯」へ。茅葺き屋根の素朴な建物。湯船は2つあり、岩風呂はほんのりと白く色がついたお湯。ひのき風呂は濃い緑色のお湯。泉質が異なるようだ。ちなみに男湯はひのき風呂だったのだが、女湯は桶風呂。朝夕で男女入替制となっているらしい。露天風呂から見えるのは周囲の山の景色。緑が一面にあふれているが、紅葉の時期は絶景だと思う。

つづいて大浴場「天の湯」へ。まともな旅館の大浴場といった感じで、浴室はかなり広いし、湯船も大きい。濃い緑色のお湯に白い湯の花がたくさん浮かんでいる。「かじかの湯」と同じく川に面しており、ガラス張りとなっているのだが、渓谷の雰囲気を味わえるのみで水面までは遠い。本館からはだいぶ下ったように思ったが、まだかなりの高低差があるようだ。金龍の滝もギリギリ見えずちょっと残念。大浴場にはサウナ、水風呂、打たせ湯つき。

この2つの湯船でも満足といえば満足だが、せっかくならば宿泊して「滝の湯」を体験したい。「五足の靴」に描かれた風景を味わうことができるはず。

垂玉温泉山口旅館
源泉/垂玉温泉(単純温泉、含硫黄・カルシウム・マグネシウム−硫酸塩泉)
住所/熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽2331 [地図
電話/0967-67-0006
交通/南阿蘇鉄道阿蘇下田城ふれあい温泉駅よりバス16分「垂玉」停すぐ
料金/大人600円、子供300円
時間/11:00〜15:00


五足の靴 (岩波文庫 緑 177-1)